Journal · 2026.06.18

もしも権威主義でなければ

〜 美しく整えられた上質なリネンのシーツ 〜

もしも、権威主義でなければ(いや、私はそもそも違うのだが)私がシャンパーニュ以外のスパークリングをお店のグラスワインで使うことを悩むとすれば、迷わず一つの名前を挙げる。

イタリア・ロンバルディアの、マッティア・ヴェッツォーラが運営するコスタリパが造る、メトド・クラッシコ一択だ。

このワインはシャンパーニュでもなければフランチャコルタでもトレントのスパークリングでもない。ロンバルディアで造られるスパークリング。ただそれだけのことだ。

それでも私は、この造り手が世界最高峰のスパークリングワインの一つだと大きな声で言える。

たまたま飲んだこのボトル中央にはこう書かれていた。

Costaripa(Mattia Vezzola)「1973-2023, 50 anni che le amo」のボトル
Costaripa — 1973-2023, 50 anni che le amo

「1973-2023, 50 anni che le amo」

私が彼女(=ワイン)を愛して、50年。このエチケットはマッティアの醸造家としての50周年を記念したものだ。

ワイン名そのものが、彼のキャリアそのものでもある。

せっかくなのでマッティア・ヴェッツォーラという人物について、少し書いておきたい。

1981年から40年近く、彼はフランチャコルタの名門ベラヴィスタで醸造家兼マネージャーを務めた人だ。フランチャコルタとはざっくりいうとイタリア版シャンパンみたいなもので、イタリアを代表するスパークリングワインとだけ覚えておけば今は良いだろう。そんなフランチャコルタというカテゴリーを、世界水準に押し上げた立役者がマッティア・ヴェッツォーラ。

そして彼の祖父から代々続くワイナリーがコスタリパ。彼はその3代目だ。

「最も大切なことは、葡萄が持つ力を最大限に引き出す為に、栽培、醸造ともに出来るだけ自然に任せること。すなわち、愛情を持って葡萄を見守ること」

と言っているように、彼の造るワインはピュアで綺麗で、そしてエレガント。

ちなみに私が彼のワインを好きになったきっかけはロゼワインだった。それなりにロゼワインを飲んでいたつもりだが(フレンチのフルコースをロゼワインだけでペアリングしたこともある)初めて彼のロゼワイン「ロザマーラ」を飲んだ時衝撃を受けた。

他のワインとは透明度が違う。

それ以降私は彼のワインのファンになり、許される業態の店全てでオンリストしてきた。それくらい沼ってしまったのだ。

そんな彼はガンベロ・ロッソ誌から「年間最優秀醸造家」に選ばれている。イタリアワイン業界において、これ以上ない権威の認定だ。

彼は「フランチャコルタというカテゴリー」を世界の頂点に押し上げた、その業績への評価だった。そしてその後彼は家業に戻った。

ガルダ湖畔にあるモニガ・デル・カルダという小さな村にあるカンティーナ。彼の祖父が1936年から畑を持っていたという。

彼はそこで家族と一緒に、世界最高峰のロゼワインとスパークリングワインを造り続けている。

産地でいえばフランチャコルタでもない。ただのイタリアの一つのエリアだ。フランチャコルタを頂点に押し上げたイタリアを代表するスター生産者の一人が、わざわざブランドのその外側に降りて造り続けている。

これは、偶然ではない。彼にとって本物のワインを造ることにブランドという看板は必要なかった。ということだ。だってそもそも彼自身がブランドの象徴なのだから。

グラスに注ぐと、綺麗なゴールドの外観。

泡は溌剌と立ち上がる。泡の強さだけで、このワインの中身の力強さが見て取れる。

香りはまずフレッシュな柑橘類…特にわかりやすいのはレモン。そのレモンの爽やかさが立ち上がってきて、その後ろから白い花のフローラルさが続く。りんごのような甘味も感じるし、少しだけ桃っぽさも感じる。

重なるように熟成由来の蜜っぽさが少し…さらに上質なバターやトーストの香ばしさもいる。

なのに、それだけでは終わらない。香りそのものに、重みが入っている。酒質が重いというのだろうか、ふわふわした泡の華やかさではなく、座って動かない香りの厚みがある。もしかしたらこれが樽発酵、樽熟成のもたらす力なのか。それとも造り手の力なのか…。

そして口に含むと、力強い泡立ちが口内を満たす。ジュワッと広がる泡の粒が力強さに反してとても心地よい。そこにいやらしさは全くない。このワインの凄さを感じさせる存在感がありながら、押し付けてこない。これこそが造り手が欲しがった感覚なのかもしれない。醸造の技術はもとより、彼、マッティア・ヴェッツォーラがワインと飲み手に何を求めているのか。それを知る手掛かりの一端となるような印象だった。

酸味はしっかりとしているが、酒質の重さと完全に溶け合っている。酸が立つのでも、ボディが勝つのでもなく、両方が一つの液体として釣り合っている。全体のバランス、存在感、飲んだ後の余韻、そして価格…並のシャンパーニュでは到底太刀打ちできない。完成度が高すぎるのだ。

スパークリングワインで樽発酵・樽熟成を行う造り手はシャンパーニュを含めてもほとんどいないはず…多分10生産者もいないんじゃないかな?

しかし——樽を使っているからコスタリパのスパークリングは凄いのではない。

圧倒的な存在感と唯一無二の個性。

この二つが揃っているから、世界最高峰のスパークリングと言えるのだと私は思う。技術はそのための手段でしかない。

ここで、最初に書いた一行に戻る。

「もしも、権威主義でなければ。」

世界のスパークリングを語る時、私たちは無意識に、シャンパーニュを頂点に置いて考えてしまう。次にフランチャコルタやカヴァが来て、その後にシャンパーニュと同じ瓶内二次発酵をしているスパークリングワインが浮かんでくると思う。

最近はイングリッシュ・スパークリングも出てきてはいるが、世間ではまだまだ認知度は低い。

確かに世界中のスパークリングワインのお手本となるシャンパーニュは素晴らしいと思うし、私も好きだ。仕事で一番多く扱ってきているのもシャンパーニュがダントツで多い。

でも、産地に関係なくワインの味わいで並べたら、その階層は崩れるとも思う。

瓶内二次発酵であると同時に、その「権威の外側」にも、間違いなく素晴らしいものはある。

マッティア・ヴェッツォーラのスパークリングワインは、その証明だ。ベラヴィスタでフランチャコルタを世界水準に押し上げた当人が家業に戻って、権威の階層を降りて、自分の名前で、世界最高峰のスパークリングワインを造っている。

これを「フランチャコルタじゃないから格下」と判断するのが権威主義だ。

実際お客様の中には「シャンパーニュ以外は大して美味しくない」という人もいる。信じられないがソムリエだって同じことをいう人もいる。というかいた。実際にその人と仕事をしたことがあって「じゃあ何飲んだんですか?」と聞くと、否定できるほど飲んでないパターンの人が多い。

しかし「これは間違いなく世界最高峰だ」と書けるのが、ソムリエの仕事だと思っている。それも相当数飲んだソムリエが言うから言えるのだ。一部のワインしか飲まずに「やれどこどこが美味しい」とか「ブルゴーニュ以外はワインじゃない」「フランスワインが一番」「日本ワインは評価に値しない」「歴史が違う」と言うのはソムリエとして失格だと私は思う。本当の一流こそ、情報には敏感で、かつ自分のテリトリー以外のワインや飲み物を色々と試し続けることをやめてはいけないのだ。止まった瞬間プロではなくなる。

もし、しがらみなく私が店で使うスパークリングを選べるなら、迷わずマッティア・ヴェッツォーラのワインを使う。

シャンパーニュではなく、フランチャコルタでもなく。

ロンバルディアに住んでいる家族が、ガルダ湖畔にあるモニガ・デル・カルダという小さな村にあるカンティーナで造っているこの一本。

権威ではなく、純粋にワインを見る。

それが、ソムリエがソムリエである理由だと思う。

そうそう、このワインは例えるなら

「美しく整えられた上質なリネンのシーツ」

ちょっとチープかしら?いや、「上質なリネンのシーツ」の本当の良さがわかる人だけが、このワインを評価するに値する人であろう。

では、また。

最後まで読んでくださってありがとうございます。
Real Sommelier というiOSアプリを年内にリリース予定です。
書くほど、ワインが言葉になる。
事前登録はこちら↓

Coming Soon

あなたの一杯も、
一篇の言葉になる

事前登録する
← Journal の一覧へ